エンディングノートはいらない!? その2

エンディングノートはいらない!? その1

以前読んだ「延命治療で苦しまず 平穏死できる人、できない人(長尾和宏/PHP)」には、「そのエンディングノート、本当に役に立ちますか?」ということが書かれていました。

何を実現するために、エンディングノートを書くのか?
そのためにエンディングノートは役に立つのか?立たないのか?

著者が「平穏死するのに、エンディングノートが本当に役に立ちますか?」と疑問を投げかけるのは、平穏死を実現するのに、エンディングノートだけでは不十分だと思われる人を何人も見てきたという経験から。

「いざ、肝心なときにエンディングノートが出てこないことが多いから・・・」
「仮に出てきても、家族がそれを理解・納得していなければ、尊重されるとは限りません」
「そもそもエンディングノート自体が日本では法的な根拠を持ちません」

確かに、こういった記述を読むと、本当に役に立つのかな?と思ってしまいます。 この本の中では、本人の意志、家族の理解、主治医の支援の3つの要件がそろわないと、現実にはなかなか平穏死はできないということが繰り返し述べられています。

さらには、三者(本人・家族・主治医)の思いを確認するために、ときにはそれぞれの意見を腹を割って話し合う場が必要だとも。 医療の現場のことに詳しくない私でも、エンディングノートに「平穏死を希望する」と書いておくだけでは不十分なのは理解できます。

でも、たとえ腹を割って話したとしても時間が経てば忘れてしまうかもしれないので、書きとめておくためだったり。そもそも、何かしらきっかけがなければ、将来の医療に対する希望を家族で話し合うこともハードルが高いだろうと思うので、そのきっかけをつくるのがエンディングノートのひとつの存在意義だと思います。