サービス案内

成年後見人の経験からわかった本当に大切な3つのこと

司法書士なので仕事柄、終活やエンディングノートに関わるのはごく自然な流れでした。

でも、エンディングノートにはご高齢の方に終活のイメージしかなかったので、まだ30代だったこともあり自分にはまだ早い、僕もそう思っていました。

成年後見人としてもしものときを目の当りにしたことで、エンディングノートの大切さを痛感することになりました。

成年後見人は衝撃体験の連続

自分は大丈夫と思っていたのに|40代のAさん

僕が成年後見人に選ばれたとき、Aさんは40代で中学生の娘さんと暮らしていました。

まだお若いのになんで?と思わずにはいられませんでしたが、成年後見人を必要とするような状況になったのは加齢によるものではなく、ご病気が原因でした。

Aさんは会話ができません、意思の疎通もできません。当然ながら、Aさんの状況が中学生の娘さんに与える影響も決して小さくありません。中学生の娘さんに何もしてあげられない様子を見ているのは辛かったです。

娘さんに伝えたかったことは沢山あっただろうに。。

自分自身のことだってまわりに伝えたいことは山ほどあったと思います。

まだ若いから大丈夫」とAさんが考えていたのかはわかりませんが、エンディングノートは当然のように書かれてはいませんでした。

40代だろうが、まだ子供が小さくても、今は元気だとしても、もしものときは突然やって来るということをAさんの成年後見人に就任したときにまざまざと思い知らされました。

胃ろうをしないという選択は|90代のBさん

Bさんは胃ろうをされていました。胃ろうをすることを決めたのは娘さんです。Bさんが希望していたかどうかはわかりません。でも胃ろうをしないということは長くは生きられない。そういうことです。

本人が元気なときに、ご家族に「胃ろうをして欲しくない」という話をしていて、家族もそれに納得している。

そうじゃなければ、胃ろうをすることになる。これが現実じゃないでしょうか。

Bさんは娘さんが会いにきても娘だとわかりません。でも胃ろうをされているので長生きされています。

だから娘さんはことある毎に僕に聞いてきます。

娘の顔もわからない状態で長生きできていることが母にとって幸せなんでしょうか?

どう思いますか?と問われても、当然ながらBさんが幸せかどうかは僕にはわかりません。

僕の母方の祖母もそうでした。胃ろうをしていた祖母は僕の4人の祖父母の中で一番長生きしました。

でも、Bさんとさほど状況の変わらなかった祖母の晩年が幸せだったのかはわかりません。

Bさんや祖母が胃ろうをして長生きしたいと思っていたら、幸せでしょうし、もし胃ろうを望んでいなかったとすれば幸せじゃない、そう思います。

幸せかどうかなんて本人にしかわかりませんよね。

元気なときに本人がどう考えていたのか?確認しようのない状況では誰にもわかりようがありません。だから娘さんにお母さんが幸せかどうか?を問われるといつも返事に困っていました。

一方で、本人の希望はわかっていても親には一分一秒でも長生きして欲しいと思ってしまうのも子供の想いなんですよね。だから延命治療の希望を家族に伝えていたとしても、それが叶うかどうかは本当に難しいというのが現実のようです。

娘さんから聞いた話なのでどこまでが真実なのかはわかりませんが、Bさんがお元気なときは母娘の間で本当にいろいろあったようです。でも、介護の時間は親子の立場が逆転しているかのようで、成年後見人として関わる数年間に娘さんのBさんに対する眼差しが少しずつ変わって行くのが手にとるようにわかりました。

月1回のペースでお二人にお会いしていると、いざこざは本当にあったのか?と思ってしまうほど娘さんは献身的でした。

だから介護の日々というのは親子の過去の関係を修復してくれる不思議な時間だと確信しました。もう少し早かったらと思うのは僕のエゴかもしれませんが。

施設入所からまだ数週間なのに|80代のCさん

認知症だったCさんは奥様がご病気で急に亡くなってしまい、ひとりでは自宅で暮らすことができなくなったので、行政の計らいで通所型の施設に特別に泊まれるようにしてもらって生活されていました。

週に3日とかでは当然間に合わないので毎日です。本来は通っていく施設に毎日泊まっても良いというかなりの特別対応で生活されていました。

でも、いつまでもそのままというわけにはいきません。

僕が成年後見人に選ばれたのは、Cさんに代わって安心・安全に暮らせる施設を探して入所の契約をするためでした。

成年後見人に選ばれるとすぐに施設を探しはじめましたが、成年後見人といってもあてもコネも特別なものは何もありません。Cさんは沢山の財産をお持ちではなかったので、ご自宅と同じ市内にある特別養護老人ホームすべてに申し込み書を送りました。申し込みといっても空きが出たら順番に連絡をもらえるという程度のものです。

しばらくして、ある施設から「空きがでたのでどうですか?」という連絡がありました。予想していたよりもかなり早いタイミングでの連絡にCさんはついてるなぁと思った記憶があります。

そこからは早かったですね。とんとん拍子にいろいろなことが進み、ある施設にスムーズに入所することができました。

Cさんがお世話になっていた通所型の施設や行政の関係者もほっとされているのがよくわかりました。僕はこのために成年後見人に選任されたようなものなので、ひとまずは肩の荷をおろせたそんな心境でした。

入所されて数週間たったある日

「そろそろ入所されて1ヶ月になるのかなぁ。Cさんのお顔でも見に行こうかな?」そんなことを思っていた矢先・・・。

当然、施設からCさんの容態が急変したのですぐに来てくださいと連絡がありました。

認知症とはいえ、急に深刻な事態になるご様子はなかったのであわてて施設に向かいました。施設に着くとCさんはベッドで寝ていました。

僕が知るCさんとはまるで別人のような顔つきで、特別な理由がないのにここまで急激に変わってしまうのか?と驚きを隠せませんでした。

慌てて飛び出してきたので、一度事務所に戻ろうと事務所に向かっている途中で携帯がなりました。Cさんが亡くなったという知らせでした。入所して間もないタイミングでのCさんの訃報に大きなショックを受けました。

僕がこの施設に決めなければ、こんなにも早くCさんが亡くなることはなかったんじゃないか?僕の仕事はCさんに代わって安心・安全に暮らせる施設を探すことだったのに、これじゃまったく逆じゃないか。そんなことも考えました。

そう思う一方で、僕は家族ではなく第三者の成年後見人です。まさか自分でCさんの介護することはできません。また、申込みをした施設から空きが出たという連絡があれば、そのまま入所の手続きをすることは適切だし、成年後見人としての職務を全うしたという自信はあります。

それでも、もしあの施設に申し込みをしてなければ・・・とやっぱり考えてしまうんです。それと、こうも思いました。

Cさんは最期のときをどこで過ごしたかったんだろう?

僕がCさんとはじめてお会いしたのは、成年後見人の申し立てのときなので、そのときにCさんに直接聞くのでは遅いのです。元気なときのCさんの気持ちを知ろうと思えば、僕と出会うよりもずっと前にエンディングノートなどに希望を書いておいてもらう。奥様に先立たれてご家族のいないCさんにはこれしか方法はありません。

成年後見人の仕事を始めるにあたってご自宅で通帳や重要な財産を確認しましたが、残念ながらCさんのエンディングノートを見つけることができませんでした。だからCさんが最期のときをどこで過ごしたかったのかはわかりません。

成年後見人の経験からわかった本当に大切な3つのこと

成年後見人の仕事はご本人(成年被後見人)が亡くなるまで続きます。最期のときから大切なことを学ばせてもらいました。

自分は大丈夫というのは大きな勘違い

自分は大丈夫。

  • まだ元気だから大丈夫
  • まだ若いから大丈夫
  • 家族がいるから大丈夫

みなさん、こう思うんです。

僕だってそう思います。だから自戒を込めて書いています。

同じ40代でAさんよりも小さい子供がいる自分が同じようにならないという保証はないし、まだ幼い子供達に伝えられることは限られています。Aさんの成年後見人になったことは、想いを形にして子供に残す方法について考えるきっかけになりました。

もしものときの希望は伝わるようにしておく

Bさんや祖母のことで思うのは、元気なときにエンディングノートを書いて希望を残しておいて欲しかったということです。

もし、Bさんがエンディングノートを残していて、そこに「胃ろうをして長生きしたい」と、書いてあれば娘さんがどれだけ救われたか。

ただし、逆のことが書いてある場合も考えられます。Bさんは胃ろうを望んでいなかったけど、してしまった。これはかなり怖いことです。

エンディングノートセミナーで参加者の反応をみていると延命治療をして欲しくないという方が多いのですが、希望をちゃんと伝えておかないと逆の結果になってしまう可能性があります。

もうわかりますよね。エンディングノートを書いておくことで残された家族の負担を軽くすることが期待できますが、書いておくだけでは足りなくて、家族や大切な人とその内容を早めに共有しておかないとまったく意味がないということです。

本人のために良かれと思ってした延命治療を本人が希望していなかったとしたら、それは悲劇です。

Cさんがもしものときの希望を奥様に伝えていたのかどうかわかりませんが、伝えてしたとしても奥様がご病気で先に亡くなられたので、エンディングノートなど何らかの形にして残しておかなければまわりに伝えることはできません。

エンディングノートは、もしものときの希望や家族に伝えておきたいことをまとめておくのに最適ですが、3人とも当然のように書いていませんでした。

もしものときの自分の希望を実現してほしい、もしものときの家族の負担を減らしたいと思っている方はエンディングノートは書いておくべきです。

もし自分の親だったら?

Cさんの最期から考えてしまうのは、もし自分の親だったらどうだろう?ということです。

  • 自分の手で介護をしてあげれば良かった。
  • 費用が掛かっても他の施設を探せば良かった。

きっと、もっとこうすれば良かったと考えたはずです。

家族なら選択肢が多い分だけ、余計に後悔の気持ちでいっぱいになるのは目に見えています。

離れて暮らしている両親と会うのは年に数回です。普段から密にコミュニケーションを取っていないとしたら、誤解を恐れずに言えば、もしものときには家族がいないのと等しいと思います。

Cさんの最期のときを目の当たりにして、両親にエンディングノートを書いて欲しいという僕の思いは切実なものになりました。

「もしものとき」にあなたとご家族が後悔しないために大切なことはこの3つです。

  • ①もしものときは年齢に関係なく突然やってくることを忘れない
  • ②もしものときの希望を伝えておくことが家族の負担を軽くする
  • ③家族がいない、離れて暮らしているなら希望は形にしてわかるようにしておく

ご相談・お問合せ

司法書士・行政書士 伊藤 薫

まずはお気軽にご連絡ください。