セミナーコンテスト(通称セミコン)という世界での学びを活かして、どうすれば自分の強みを最大限に伸ばすことができるかという視点で6年間実践してきました。
6年という時間が経ったことも手伝ってニュートラルな気持ちでセミコンの振り返りができそうな心境になりました。グランプリ出場どころか地方大会でも優勝できなかった僕が商工会議所でデビューすることができるまでをまとめました。
目次
セミナーコンテストとは?
この記事を読まれている方にはセミナーコンテストの説明は不要だと思いますが、ご存じない方のために簡単に説明すると・・・
セミナーコンテスト(通称セミコン)とは、7名の出場者が自らの体験をもとにオリジナルセミナーを作り、1人10分で発表して順位を競う一般社団法人日本パーソナルブランド協会が主催するイベントです。地方大会、そして地方大会を勝ち抜いた優勝者が戦う全国大会(セミコングランプリ)があります。
もっと詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。
セミコンから学んだことと学びの3段階
大阪大会で2位、敗者復活戦に敗れグランプリに行けなかったというのが、僕が2014年の1年間をセミコンに捧げて手にした結果でした。
2014年3月にセミナーコンテスト大阪大会に挑戦して早6年。「セミコングランプリをゴールにしない」を公言して戦ってきました。
グランプリに行った〇〇さんとか具体的な誰かと戦ってきたわけではありません。全く意識してなかったというと嘘になりますが、誰かに勝つとか負けるといった類の戦いではありません。
戦う相手は、自分自身です。
「セミコングランプリをゴールにしない」をグランプリに行けなかったことのその場しのぎの言い訳にしたくなかったので、必死でやり続けてきました。
6年間の間にこんな出来事があったので、グランプリをゴールにしない!と何年も振り上げていた拳をようやく下すことができました(苦笑)。
- 自分の強みを活かしてセミコングランプリに関わることができた
- オリジナルセミナーが書籍で紹介された
- 商工会議所で講師デビューができた
グランプリチャンピオンを頂点としたセミコンのヒエラルキーの中で自分のポジションは自覚しています。だからこそ自分ならではの強みを活かしてグランプリに関わることができたのはとても嬉しかったです。
グランプリをゴールにしないと公言してきた以上、セミコン以外で何か形にしないと格好がつかないとずっと思っていました。セミコンに出るときにイメージしていた売れっ子講師には程遠過ぎるのですが、オリジナルセミナーを取材してもらえたり、憧れていた商工会議所で講師デビューをすることができて少しホッとしました。
2014年の大阪大会からはじまったセミコンとの関わりの中で本当に多くのことを学ばせてもらいました。中でも大きかったことはこの3つです。前半では学んだことの本質とそれを元に実践してきたことを整理しました。
- ①グランプリはゴールじゃない!
- ②オリジナルになろう!
- ③セミナーがすべてじゃない!
また、セミコンはオブザーバー(観客)、出場者、サポーターという3つの違った立場から学ぶことができます。3つの立場で効率的に学ぶにはこういう視点が必要じゃないかと感じたことを後半に整理しました。
セミコンからの学び ①グランプリはゴールじゃない!
セミコングランプリ出場をゴールにしていたら、あのまま無難なエンディングノートセミナーを続けていたら・・・早々に玉砕してとっくにセミナーなんてやっていなかったと思います。
グランプリのその先を見てエンディングノート(司法書士)と泡盛を掛け合わせる勇気を持つことが出来たからこそ講師の活動を続けることができました。
敗者復活戦のセミナーをきっかけに僕がずっと実践してきたのは2つの強み(司法書士と泡盛)を掛け合わせることです。だからこそ自分の強み(泡盛)を活かしてセミコングランプリに関わることができました。
グランプリを目指した想いは成仏できたのか?
家庭の事情などで離れていましたが、2018年の秋に久しぶりにサポーター(スタッフ)としてセミコンに参加することになりました。
そんな中で決まったのが、セミコングランプリの懇親会で泡盛ブースをすることでした。
過去にタイムキーパーとしてグランプリに関われたことは貴重な経験でしたが、やっぱり何か物足りない。そういう想いを抱えていたので泡盛ブースの話はまさに渡りに船でした。
当初、目指していたグランプリとはまったく違う形ですが、「グランプリをゴールにしない!」と言い続けてきたことが、1つの形になったのは感慨深いものがあります。
これは2014年1月2日に書いたブログです。
2014年はチャレンジする年にします。
ひとつ目のチャレンジは、セミナー講師の甲子園といわれる『セミナーコンテスト(通称セミコン)』に挑戦します。
とある勉強会で知り合った方に誘われるまま10月の大阪大会にオブザーバーとして参加して、その翌日には3月の大阪大会のエントリーを済ませていたので、ものの弾みといってもおかしくありませんが。
セミコンに挑戦された方達が口々に「沢山の気づきがある」、「自分が成長できる」と仰っていたことや、挑戦者を支えるスタッフのみなさんがセミコンを愛しているのがひしひしと伝わってきて、自分もその中に身をおいてみたいと思いました。
でも、一番はテーマソングにあるこのフレーズ、「答えは自分の中にしかない」がグサッときました。
開業5年目の節目に今一度自分と向き合います!
ひとつ目が長くなったのでふたつ目はさらっといきますが、『全日本泡盛マイスター技能競技大会』という泡盛マイスターの全国大会にも挑戦します。
無様な結果になるかもしれませんが、何事も経験。
沖縄に行きたいだけとかでは全然違って、本気です(必死)
沖縄といえば、かれこれ10年実現できていないT氏、N氏との野郎3人での沖縄旅行も今年行きます。
二人の迷惑になるので、泡盛マイスターの全国大会とは絡めず別日程で行きます。沖縄に何回行けるかにもチャレンジです(笑)
そして、2014年の年初に片目を入れただるまは実家の神棚においたままでした。
久しぶりにだるまと目が合ったのが2018年の大晦日。たぶん目は合っていたけどこの5年間ずっと気がつかない振りをしていました。
セミコングランプリは手が届かなかったし。。
泡盛マイスターの全国大会は2回挑戦して6位→2位と順位をあげることはできたけど、日本一には手がとどかなかったし、沖縄旅行も実現できてない。
今回も目が合ったときにスルーしようと思ったけど、本来のゴールとはかけ離れてしまったけど自分の強みを活かしてまたグランプリに関わることができる。このタイミングでグランプリを目指した想いは成仏させてもいいかなと思えるようになりました。
右目を入れてみたら、とても清清しい気分。
それにしてもこの5年で大きく変わりましたね。スマホのカメラの性能なんか格段に良くなってる。
もう5年になるのでこれを機にセミコングランプリを目指した想いは、すっきり成仏させようと年明けから準備してきました。今回は勝ち負けは関係ないけど、なんとなくよかったかな?じゃあ、すっきりしない。
でもそれなら何か判断基準があった方がいいよねということで、泡盛ブース@セミコングランプリに自分なりの目標を3つ立ててみました。
- ①泡盛を通して懇親会を盛り上げる
- ②セミコン卒業生の活動を見てもらう
- ③10000あわもりチャレンジに協力してもらう
他人がどう思おうが自分の主観で決めればいいことです(笑)。
①泡盛を通して懇親会を盛り上げる
ブースでみなさんの様子を見ていると楽しんでもらえたんじゃないでしょうか。ウイスキーのように樽で熟成させた泡盛で作るハイボールが好評で準備していた泡盛はすべてなくなってしまいました。
そして改めて感じたことはこの2点。
- 泡盛の認知度は低いですね
- 知っていてもよいイメージはない(苦笑)
泡盛ファンからは物足りないと評判の僕のオリジナル泡盛は思いのほか好評でした。これって逆に言えば伸び代は大きいってことですよね。本気で初心者を攻めないことには何も変わらないわけですが。
②セミコン卒業生の活動を見てもらう
これはどうなんでしょ?
僕のことを知らない方も飲みにきてくれましたが「僕も5年前にエンディングノートセミナーでセミコンに挑戦して、それがきっかけで今日は泡盛ブースをやっています」と話したらポカーンとされたので、懇親会に呼ばれた泡盛屋さんと思っていた人もいたのかもしれません。
今回、泡盛ブースをやってみようと思ったのはグランプリに出れなくても、そこで諦めずに頑張れば面白いことが起きるってことを伝えたかったからです。だからこんなチラシを作ってグランプリの配布資料に入れてもらってました。
グランプリに出てもそれだけじゃ何も変わらないと思うんですよね。
グランプリに出ても出なくても人生を変えるきっかけにできるのがセミコン。グランプリに出れば、優勝できれば何か変わると思っている人は何も変わらないのもセミコン。
泡盛ブースをやっているのがセミコン卒業生だということが参加者にあまり伝わってなかったとしたら、これは残念です。
③10000あわもりチャレンジに協力してもらう
10000あわもりチャレンジというのは、泡盛を楽しんでいる写真を1万人分集めるという僕のチャレンジです。
これは一気に100人増えて2400人を越えることができました。本当にみなさんのおかげです。ご協力ありがとうございます。
上手くいったところもあれば、そうじゃないところもあるけど3つを総合的に評価すると納得できる泡盛ブースを開催することができたというのが自己評価です。
1つのアクションに対して3つのゴールを設定するという「1アクション3ゴール」は、セミコングランプリでコメンテーターをされている和仁 達也先生のセミナーで学びました。
一見して失敗したと思えるようなときでも3つの指標があれば、ここはあまり上手くいかなかったけど、こっちは良かったというように完全に落ち込まないで済みます。3つのゴールを目指して準備すれば準備する内容も広範囲に渡るので、結果的に成功しやすくなると感じています。
当日、ふらっとやって来て泡盛ブースをやります。じゃなくて、できるかぎりの準備をしてのぞみました。
- 会場の下見や担当者との打合せは入念に
- 泡盛ブースに誘導・活動を知ってもらうためのチラシを準備
- 会場で自由に動けるように気心の知れたサポーターに来てもらう
- プロップスは沢山準備しておく(笑)
準備を重ねてきた時間は裏切らない。
今回のセミコングランプリを通して改めて感じました。いろんな形で泡盛ブースをサポートしていただいたみなさんに感謝です。ありがとうございました。
グランプリに出れていない身としては、人生を変える旅のゴールはまだまだ先。5年越しになりましたがグランプリを目指した想いはすっきり成仏させることができたということにして、次なるチャレンジに進んでいきます。
それぞれの分野は平凡だからこそ、それを上手く掛け合わせて選ばれるために独自化する戦略がハイブリッド×ブランディングです。混ぜるな危険って感じの掛け合わせを実践して気づいたことをこの記事にまとめました。
セミコンからの学び ②オリジナルになろう!
本で読んだことがあるような、どこかで聞いたことがあるようなノウハウ・セミナーでグランプリに行くことができたとしても継続するのは難しかったでしょう。
でもノウハウなんてどこかで誰かが言っていると思って間違いないと思います。言っていることが矛盾しているようですが、これが現実です。
結局、何を言うかじゃなくて誰が言うかです←これも誰かが言っている(笑)。
「答えは自分の中にある」は、セミナーコンテストを主催する一般社団法人パーソナルブランディング協会の立石 剛代表理事の言葉です。これを自分なりに解釈すると、自分の体験、実践、実績からしか答えは見つからないということだと理解しました。
そこで、実績は一朝一夕には作れないので、失敗するかもしれないけど自ら実践することを重視して動いてきました。
「どこかで聞いたようなノウハウ」はいいとして、本当にどこかで見つけてきたノウハウでなんとかしようとしてもなんともならないということです。
ノウハウそのものよりも、そのノウハウを語る正当性や信用を作るためにオリジナルにならなければいけないと思いました。これが一番大事で一番難しいわけですが。
オリジナルセミナーが書籍で紹介された理由
セミコンに出場した2014年の年末に日本パーソナルブランド協会から「パーソナルブランドに役立つセミナー企画」の募集がありました。
敗者復活戦の後でグランプリチャンピオンの谷口 一則さんから「今度コラボしましょう」と言ってもらえたのを真に受けて、コラボセミナーの企画書を作って応募させてもらい、審査に通ることができました。
正直に言うと、僕ひとりでは採用されるのは難しいと感じたのでグランプリチャンピオンとのコラボという飛び道具を使ったというわけです。素直と言うか図々しいというか(苦笑)、おかげ様で狙い通りに2つの目標を叶えることができました。
- グランプリチャンピオンの谷口さんとコラボ
- 協会主催のセミナーに登壇
でもこの2つは表面的な成果です。
本質的な成果は自身のセミナー、企画書を大幅にブラッシュアップすることができたことです。このセミナー企画募集にあわせて開催された勉強会で、企画書や案内ページをヒイヒイ言いながら作ったことは今ではよい思い出です。
さらに、協会主催というプレッシャーも手伝って、まだまだ苦手意識を持っていた話し方は相当練習しました。
セミコングランプリに行く人達は10分セミナーを100回位練習していると聞いたときは、100回というのを天文学的数字に感じて完全に引いていました。10分セミナーじゃないので100回とは言いませんが、実戦的な練習もあわせるとセミナー当日までに相当練習を繰り返した記憶があります。
協会主催セミナーのプレッシャーを原動力にオリジナルコンテンツのエンディングノートセミナーを完成させることができました。
協会主催のセミナーから1年位経ったときに雑誌の取材を受けました。
僕のHPにあるセミナーの開催報告記事を見つけて連絡をくださったようでしたが、電話を受けたときはいわゆる記事広告かと思ってだいぶ警戒しました(苦笑)。
開催報告記事はほとんど読まれない上に、SEO的にも期待できないのではっきり言って書くのは面倒くさいですが、こういうことが起きるので折角イベント・セミナーをするならこの辺も手を抜けません。
関連|最幸の人生の見つけ方×エンディングノート超活用術(開催報告)
いま思えばダメ元で書いた企画書でしたが、協会主催のセミナーに登壇、グランプリチャンピオンとコラボに加えて、オリジナルコンテンツをはじめて取材してもらうきっかけになったので、無理だろうと思ってもやるかやらないのかの差は大きいですね。
3つ目は完全に棚ぼたですけど、セミコングランプリでコメンテーターをされている和仁 達也先生の教え、「1アクション3ゴール」の効果を体現することができた事例です。
そして、これは僕が谷口さんとのコラボセミナー中に宣言した目標というか妄想です。朝日新聞のひとの欄に出るという映像を鮮明にするために相方に画像を加工してもらいました(笑)。
こんな妄想を現実にできる日は来るんだろうか?と思っていたら、朝日新聞の夕刊なので少し形は変わりましたが2020年3月に実現することができました。
凄くないですか?これが妄想力のなせる業です!
セミコンからの学び ③セミナーがすべてじゃない!
セミコンに集中するあまり、無理くりセミナー講師になろうとしていました。
よくあることですが手段が目的になっていました。セミナーは自分の考えを発信する1つの手段に過ぎないんですよね。
オリジナル泡盛を造ったり、クラウドファンディングに挑戦したり、ずいぶん遠回りをした結果ようやく腑に落ちました。ここに気づいたらとても楽になりました。
セミコングランプリはゴールじゃないし、セミナー講師もゴールじゃない!笑。
ゴールはそのずっと先です。
実績のない僕が商工会議所デビューできた理由
協会主催のセミナーで手応えを感じた僕は、ご縁をいただいて2016年1月に東京の講師のエージェント会社に企画書を持って挨拶に行きました。
すぐに依頼があるはずもなく、忘れていた頃(2018年10月)に連絡がありました。訪問から2年越しで凄く嬉しかったのですがそれも企画書止まり。
人生そんなもんです(苦笑)。
セミコンの採点表にもありましたよね、市場性という項目が。
悲しいかな、エンディングノートも泡盛も市場性は・・・。自ら市場を開拓できる位にインパクトのあることができればなぁと自分の無力さを思い知らされました。
商工会議所デビューのきっかけは、神戸スポーツ映画祭!というイベントで泡盛の試飲ブースをしたことです。そうとは知らずに、泡盛をふるまった人の中に偶然にも商工会議所の方がいらっしゃったのです。
講師のエージェント会社からオファーが来て商工会議所のニーズにフィットするような企画書を送ったときは通らなかったのに、振舞い泡盛をしただけでオファーをいただけるなんて想定外も想定外。
こんなことってあるんですね(笑)。
泡盛という好きなことを続けていたおかげでこんなことが起きました!という文脈でまとめてもよかったのですが、少し補足させてください。
商工会議所で講師デビューできた直接のきっかけは泡盛でしたが、講師活動もコツコツと続けてきました。敗者復活戦以降、自主開催をはじめセミナー・講座など50回以上登壇してきました。
その中でペチャクチャナイトというイベントにエントリーして、そこで神戸スポーツ映画祭!を主宰されている塚田 義(ただし)さんに出会いました。
あるとき、塚田さんから映画祭の会場で泡盛ブースをしませんか?と誘っていただいたのですが、セミコングランプリで経験していたおかげで「面白そうですね、やりたいです」と即答することができました。
セミコングランプリの懇親会での経験がなかったら即答できなかったし、もしかすると断っていたかもしれません。まったく関係ないように思える活動が1つにつながって引き寄せた結果が商工会議所での講師デビューでした。
セミナー、セミナー講師に執着しないという気概を持てるようになったことと、フットワークの軽さも手伝って引き寄せることができたと思います。
【出場者】 として学ぶ
地方大会を棚卸しの場にするのはもったいない
僕がセミコンに挑戦するきっかけは長くなるので割愛しますが、出場を決めた理由はこの2つです。
- 人前で話すのが苦手なので、そのショック療法として
- セミナーができる司法書士として仕事の幅を広げたかった
セミコン出場を決めたときからテーマはブレずに、エンディングノートの一択でした。
セミコンに出たことでこれまでの人生の棚卸しができたという感想を沢山の方から聞きますが、それじゃもったいないと思います。僕がセミコンの地方大会を通して学んだセミナー作りで重要なポイントはこの3つです。棚卸しに時間を掛けるとこの3つに十分に時間が取れないのでもったいないと思うわけです。
①対象者を明確して絞り込む
エンディングノートというテーマは最初から最後まで変わりませんでしたが、セミナーのペルソナ(対象者)とノウハウは何度も何度も見直しました。
商品やサービスを利用する顧客の中で最も重要な人のイメージ
ペルソナ
セミコンには10分間という時間の制約があるのでペルソナを絞り込むのに苦労しました。
エンディングノートを書いてみたい人 | 親にエンディングノートを書いて欲しい人 |
自分のためにエンディングノートを書きたい人 | 家族のためにエンディング書きたい人 |
当初はペルソナの設定が甘かったのでしっくりくるセミナーを作り上げるのに時間が掛かった上に、何度もペルソナを見直したことで繰り返し繰り返しセミナーを作り直しましたが、結果的にエンディングノートの本質に気がつくことが出来ました。
②魅せ方にこだわる
魅せ方というのはパワポの作り込みだけではなく、同じノウハウをどんなストーリーで伝えれば最も効果的に伝わるかという視点です。
地方大会の頃は人前で話すことにバリバリの苦手意識を持っていたので、早めにパワポを作って内容を頭に叩き込んで話し方を含めて練習を繰り返しました。
伝え方が天才的に上手い人はいますが、僕の場合は完全に逆なので緊張しても完全にあがってしまわなような話し方を形にすることで精一杯でした。だから魅せ方にこだわることができなかったことは悔しいですね。
地方大会はセミナー作りからの気づきが多いのに、そのタイミングで棚卸しをしているととてもじゃないけど魅せ方にこだわる時間は取れません。
③自己紹介が8割
協会の代表理事の立石 剛さんから「セミナーは自己紹介が大事」、「何を言うかよりも誰が言うかが大事」と口酸っぱく言われていました。
頭ではわかっていても実績は変えようがないので、自己紹介が尻すぼみになってしまうことにもどかしさを感じていました。
もっと実績を作ってからセミコンに出た方が良かったかなと悩んだこともあります。でも実績を作ってからと先延ばしにしていたら、いつまで経っても何もできないでしょう。
圧倒的な実績を持ってセミコンに乗り込んでくる方もいますが、僕はここから実績を積み重ねる努力を続けていこうと地方大会のときに心に決めました。
セミコンの醍醐味は敗者復活戦にあり
僕は地方大会で優勝できなかったので敗者復活戦と書きましたが、優勝された方にとってはセミコングランプリを目指す代表者決定戦のことです。ここに挑戦しないと、地方大会で得られた学びを効果的に活かすことはできないとさえ思います。
僕の場合、テーマこそエンディングノートから変わっていませんが、対象者・タイトルは大きく変わりました。
セミコン地方大会が終わった3月からエンディングノートを深掘りし続けてきて、エンディングノートの本質が腑に落ちたことが理由です。
- 地方大会|本当に役に立つエンディングノートに必要なたった2つのこと
- 敗者復活戦|人生の後半戦を無駄にしないための最幸のエンディングノートの作り方
グランプリ出場権が掛かる大会なので地方大会の内容をアップデートした内容で挑むのか?(無難にいくのか)、それともグランプリのその先、グランプリをゴールにしないための挑戦にするのか?はかなり悩みました。
もしグランプリに行くことが出来たとしても人気講師になれる保証はないし、地方大会のテーマじゃ目新しさがないので出版も難しいと思ってしまったわけです。
今後の展開を考えたときに、敗者復活戦をきっかけにオリジナルのコンテンツを作りたいと思いました。
セミコングランプリをゴールにしないと決めたのは、敗者復活戦が近づいて来た頃でした。
それまではむしろグランプリに行くために、すべての行動をグランプリに辿り着くための血肉にしようと息巻いていたので(笑)、いただいたチャンスは基本的にすべて乗っかりました。
- パーソナルブランド協会が主催するモーニングセミナーに登壇
- 高校の同窓会でエンディングノート講座
同じタイミングで120分の自主開催セミナー作りにも挑戦しました。いわゆる終活ではないオリジナルのコンテンツをゼロから作ったので産みの苦しみが凄かったです。
地方大会はいかにして10分に収めるかという視点でしたが、セミコンの10分をベースに一度120分まで拡大して、そこから改めて10分間を作ることで全く新しいものにアップデートすることができました。
そうすると、当然のように原型はなくなります(苦笑)。
敗者復活戦、グランプリを目標にしていなかったら地方大会からの成長はほとんどなかったでしょう。こうした積み重ねがさらにエンディングノートを深掘りすることになりました。
終活のイメージがあるエンディングノートで40代をペルソナにしたこと、さらに40代になったばかりの僕が語るには、司法書士としての実績も活かせないし説得力も弱いだろうと分析していました。
でも僕が選んだのは、実績はなくてもオリジナルのコンテンツで勝負することでした。具体的にはエンディングノートセミナーに好きな泡盛の話を織り込むことでした。僕だから話せるオリジナルのエンディングノートセミナーです。
恥ずかしいけれど公開します。見てらんないです(笑)。
当然のようにセミコングランプリには勝ちあがれませんでしたが、いま改めて感じるのは密かに温めていた司法書士×泡盛を1つの形にすることができたのは大きな一歩でした。
この敗者復活戦が掛け合わせの原点になりました。
その年のグランプリ大会にはオブザーバーとしても参加しませんでした。
- 東京までの交通費がもったいなかった
- 敗者復活戦で燃え尽きてしまった
- グランプリのその先に向けて動き出していた
どれも当てはまります(苦笑)。
セミコンに集中してエンディングノートセミナーのアップデートに1年間を費やしていたので、司法書士の仕事に集中したいという事情もありました。
自己満足の部分はおいておいて、敗者復活戦で目に見える結果を何も残せなかったので、年明けからの準備に向けて動き出すことにしました。
【オブザーバー】 として学ぶ
僕がセミコン出場を決めたのはオブザーバーとしてセミコンの地方大会を見に行ったときです。オブザーバーは学びがないとは思いませんが、セミコンに出場しないまま何度もオブザーバーを繰り返しても本質的な学びは少ないというのが僕の感想です。出場者を経験したからこそオブザーバーという立場で学べることがあります。
記録と記憶。どっちも残せなかった敗者復活戦は無駄だった?
2018年11月、10000チャレンジのメンバーを誘って久しぶりにセミコン大阪大会に参加しました。
セミコンに出場した翌年はサポーター(スタッフ)として関わりましたが、それ以来久しぶりの参加だったので若干の浦島 太郎状態を味わいました。
でも熱いイベントなのは変わらずでした。出場者のセミコンにかける想いもそうですが、出場者を支えるスタッフもアツかった!セミコンがボランティアスタッフの力で運営されていることを知ると初めて参加された方は必ずびっくりします。
久しぶりといえば、セミコンでもコメンテーターをされている板坂 裕治郎さんと懇親会で隣の席になりました。僕が挑戦した敗者復活戦の懇親会以来です。
なんで、そんなことを覚えているのかというと・・・
セミコンの懇親会には欠かせないシェアタイムというものがあります。知ってる方には説明不要ですが、挑戦者、スタッフ、オブザーバーそれぞれの立場からその日のセミコンで感じたことや学びをひとり1分でシェアするという時間です。
このときに手を挙げて「次回の大会に挑戦します!」とノリと勢いで出場宣言してしまう人が多いのもシェアタイムのお約束です(笑)。
で、僕もシェアタイムで手を挙げて、敗者復活戦の挑戦から学んだことを話し終えた直後、隣に座っていた板坂さんから・・・
「え!今日出てたんですか?気づかなかった」という板坂流のツッコミが入ったんですよ!!
僕も全部出し切って疲れてたし、想定外のツッコミに頭が働かなくて一瞬間が開いたときに、庭のソムリエの石坂 拓司さんが「むっちゃいいセミナーしてたやろ!!」と間髪いれずに噛み付いてくれたことも思い出しました。
あのときは、一触即発の雰囲気になりましたね(汗)。僕の中で石坂さんに対する想いが大きく変わった瞬間でもありました。
板坂さんのあのツッコミには当然ムカっ!ときたんだけど、ほんとその通りだなと。たとえ記録は残せなくても記憶にも残らないようなセミナーしかできないんだから勝ちあがれなくて当然だと思ったわけです。
あれ以来、記録は残せなくても何か1つでも記憶に残したいと思ってきました。怒りのエネルギーは使い方によっては最強なので(笑)、しんどいときには思い出して「なにくそ」というモチベーションにしてきました。
そんなことを思い出したのは、板坂さんと隣の席になったのも理由でしたが、こんなこともありました。
久しぶりのセミコンで浦島 太郎状態なのに名刺交換えをしているときに、
- 「泡盛の人ですよね?知ってますよ!」
- 「泡盛の伊藤さん!facebookで見てますよ~」
という意外過ぎる反応があってびっくりしました。
セミコンでは鳴かず飛ばずだったので、セミコンが終わった後で何かしら記憶に残るものがあったんでしょうか?
もしかすると、理由は僕のトレードマークの黄色のハッピかもしれないと思いました。安易な発想ですが(苦笑)、見た目・スタイルを変えたことで記憶に残りやすくなったんでしょう。
余談ですが、どこでも浮いてしまう黄色のハッピですが、まったく浮かないどころか馴染んでしまう場所があります。どこだと思います?
それは・・・阪神百貨店です(^^)
このハッピで売り場に立っていると、お客様にエレベーターからトイレの場所までいろいろ聞かれます。質問によっては答えられなくて阪神百貨店の人間じゃありませんと言ったところで、わかってもらえません(苦笑)。
僕が泡盛マイスターとして憧れていた阪神百貨店の沖縄物産展という舞台に立てたのは、セミコンの敗者復活戦がきっかけでした。
話を懇親会に戻します。挑戦者を称える雰囲気が充満する敗者復活戦の懇親会で、普通はそういうダメ出しはしないもん。板坂さんは覚えてないでしょうけど、今となっては言ってもらって良かったです。
そして、それができるのが板坂さんなんだよなぁと実感しました。板坂さんはブレないあのスタイルだから言われてもしょうがないよなと思ってしまう、それどころかむしろズバっと言って欲しい!斬って欲しい!という気持ちになる。
今回の大会は板坂さんはコメンテーターじゃなかったので、出場者の方が板坂さんのとこに来てアドバイスをもらってました。斬られまくってましたね~(笑)。
僕はそれを間近で見ていてとても勉強になりました。
敗者復活戦はグランプリのその先を見て取り組んでいたからこそ、あのツッコミに余計に「なにくそ」と思ったんですよね。記録も記憶にも残らないようじゃどう頑張ったところで、グランプリしかりその先も期待できないよなぁと。。
敗者復活戦をやりきったのは、無駄じゃなかったと思えた日になりました。
【サポーター】 として学ぶ
スタッフをするとセミナーをアップデートできる
「セミコンのスタッフ(サポーター)をすると勉強になる」と、スタッフを経験された方はみなさんそうおっしゃいます。
僕も3つの立場でセミコンを経験したからこそ得られる学びがありました。
- ①オブザーバー(観客)
- ②出場者
- ③サポーター(スタッフ)
これまで自主開催イベントを200回位やっていますがセミコンスタッフの経験が活かされています。スタッフは主催者側の立場でセミコンに関わることができるので、自身でコミュニティを運営するときにも参考になりました。
出場者のときはコンテストの勝ち負けという表面的な部分に相当囚われていました。「承認欲求」「嫉妬」「焦り」など、いろんな感情の影響を受けているので、自分のセミナーの質を上げるためという視点で他人のセミナーを見ることは正直難しかったと思います。
スタッフは挑戦者と違って、こういった自己中心的な感情や負の感情から離れて他人のセミナーを客観的に冷静に見ることができるので、スタッフをすることで講師活動において沢山の気づきがありました。
- つかみ
- 巻き込み方
- 展開・ストーリー etc
セミコン出場者のセミナーからだいぶ盗ませていただきました(^^)
自分が出場者のときは余裕がなくてまったくできませんでしたが、今ではセミナー(講座)で活用させてもらっています。
ペチャクチャナイトというイベントでは、20秒×20枚の400秒のプレゼンの中に泡盛のボトルを出すマジック(つかみ)と、乾杯(巻き込み)を取り入れることにチャレンジしました。