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御酒(うさき)誕生までの奇跡に酔う
戦火で壊滅したと思われていた戦前の黒麹菌(瑞泉菌)で造られた幻の泡盛 御酒(うさき)を飲んでいます。御酒は瑞泉酒造さんの工場見学の時に試飲しただけだったので、じっくり味わうのはこれが初めて。
戦前の泡盛の再現と聞いて勝手な思い込みですが、酒くさい飲みにくいような泡盛をイメージしていました。これが意外にも新酒とは思えないやさしい印象なのです。豆腐ようとのマリアージュがこれまた最高でどんどん杯が進みます。
御酒の箱に同封されているパンフレットが、かなり読み応えがあって面白いです。
沖縄戦で壊滅したと思われていた戦前の黒麹菌が60年の時を超えて東京大学で発見される。しかし、発見された黒麹菌は非常にデリケートな状態のため、酒ができる確率は50%。熟練杜氏の昼夜を問わない情熱が幾多の困難を乗り越えて「幻の泡盛」の復活に導いた~。
このパンフレットには「幻の酒」復活までの軌跡、いや奇跡が綴られています。
瑞泉酒造1階の試飲コーナーに「御酒(うさき)」の東京大学限定ボトルが展示されていました。
戦前の黒麹菌は沖縄の地上戦で壊滅したと考えられていました。ところが、故坂口 謹一郎博士によって瑞泉酒造から採取されていた黒麹菌の標本がなんと!東大で保存されていることがわかります。
瑞泉酒造がこの瑞泉菌で戦前の泡盛の味の復刻を目指して1999年に商品化に成功した泡盛が「御酒」なのです。
このようなストーリーがあるからこその東大限定販売なのです。瑞泉酒造ではあくまでも参考に展示しているだけなので東大でしか買えないそうです。
御酒と瑞泉菌で映画が一本撮れそうなエピソードですよね。幻の泡盛復活のストーリーに胸と目頭を熱くさせながら御酒を飲むとさらに杯が進みます。ヤバい!もうなくなりそう・・・。
泡盛版 金の斧 銀の斧
僕が成年後見人をさせていただいていたXさんが亡くなられたので、保険証の返却や葬祭費の支給申請書などをもらったりと、某市役所で最後のお努めを終えて最寄り駅までとぼとぼと歩いていた時の話です。
何事も始まりがあれば終わりがあるわけですが、この道を歩くことはもうないかもしれないなぁと少し感傷的になっていました。もうすぐ駅に着くというタイミングで前々から気になっていた酒屋があったことを思い出しました。
Xさんの後見人の間はいつでも寄れるからと毎回素通りしていたのですが、次はいつになるかわからないので寄るなら今日しかないと思い入ってみました。
お目当ては当然のように泡盛ということになりますが、結論からいえばビンゴ!でした。量は多いとはいえませんが、ほとんどの泡盛がこのお店の店頭でお年を召していらっしゃいました。
- これは7年古酒になってる!こっちは8年!
- うわぁーこの御酒はラベルに「2001」とあるから11年物~!
ひとりでテンションが上がってしまいました。もちろん定価です。
これもこっちも買っておいて損はないと舞い上がる自分と、ちょっと待った!お店の照明にさらされた瓶熟成泡盛が全て美味しく育っているといえるのか?という泡盛マイスターとしての冷静な自分とがせめぎ合った結果、購入したのがこの御酒でした。
棚の上の御酒はかなりホコリをかぶってましたが、この色の瓶なら照明の影響も少ないだろうと判断しました。レジに持って行ったらお店の方が「箱がある方がいいよね?」って奥の方をゴソゴソしだしたのです。
イソップ童話の「金の斧、銀の斧」じゃないけど、「僕が欲しいのはホコリで薄汚くなっているラベルに2001と書いてある展示品の方で、いくら箱があっても綺麗でも他の瓶では断じてない!」と心の中で思いながらも、お店の方が奥から出してきた箱の中の瓶を確認するのを見ていました。たぶん冷笑を浮かべながら。
しかし!箱から出てきた綺麗な瓶のラベルにも2001の文字が輝いていたので・・・反射的に、は、箱入りでお願いします!とお金を差し出してました(苦笑)。
いやー単なる偶然なのか?何かのお導きがあったのか?は分かりませんが、これからはこの駅でちょいちょい降りることになりそうです。
【追記】 あれからしばらくして引越したのですが、この酒屋のある駅を毎日の通勤で通るようになりました。それこそ何かのお導きがあったのかどうかはわかりませんが。(2012年12月6日)
工場見学レポート@瑞泉酒造
工場の中をひと通り案内してもらいましたが、お邪魔したのが朝の早い時間帯だったので残念ながら工場は稼働していませんでした。でも2階(3階?)が資料館のようになっていて、なかなかお目にかかれないレアものをたくさん拝見することができました。
創業120周年の記念古酒
これは瑞泉酒造の創業120周年記念に限定12本で発売された30年物の古酒です。容器と付属のグラスはなんと!フランスのバカラです!
120周年ということで出来れば120本を用意したかったそうですが、出来の良い古酒にこだわった結果、120本分の量を確保することができずに12本になったそうです。即完売だったらしい!
ちなみに販売した泡盛の度数は33度で、お値段は税込52万5,000円也。600mlということは・・・計算するのはやめておきましょう(苦笑)。
※画像は12本に含まれないので残念ながら中身は入っていません。
君知るや名酒あわもり
お次は東京大学名誉教授の故坂口 謹一郎博士の論文のタイトル「君知るや名酒あわもり」が刻まれた石碑のレプリカです。沖縄県酒造協同組合の玄関正面に建立されているオリジナルと見比べると緻密なレプリカではないのですが、これかなり欲しいです。
どういう経緯でこのざっくりとしたレプリカが作られたのかも気になります。
泡盛の干支ボトルの元祖
今ではおなじみの泡盛の干支ボトルですが、実はここ瑞泉酒造さんが干支ボトルのパイオニアだそうです。そしてこちらが元祖!干支ボトルの鶏ボトル!
物心ついた時には干支にちなんだ泡盛の酒器をお正月に飾っていた記憶があると、案内してくれた瑞泉酒造の方が仰っていました。少なくとも30年以上前からは存在していたようです。
いつの年のものかはっきりしないそうですが、かなり年季の入った鶏ボトルの頭をありがたくなでさせてもらいました。
瑞泉酒造さんに2回目にお邪魔したときは、もずくファンのコミュニティ「もずく楽部」さんと一緒でした。翌日がもずくの日で大阪からもずく楽部の四天王が沖縄入りしていました。僕は忠孝酒造さんの手造り泡盛体験の日だったので体験が終わってから瑞泉酒造さんに直行。忠孝さんの手ぬぐいを巻いたままなのはそんな理由です。
瑞泉酒造さん 丁寧に説明して頂きましてありがとうございました。訪問日:2011年10月17日、2016年4月16日
瑞泉酒造の主な泡盛
- 瑞泉シリーズ
- 御酒(うさき)
- migaki
- おもろ etc
瑞泉10年古酒
ゴージャス!!ブラックを纏った瑞泉酒造の10年古酒です。しかも、な、なんと3,000本限定!!自分じゃちょっと買えない上等すぎる逸品です。いつ飲もうか考えるだけで顔がにやけてしまいます。Gさん ありがとうございました。
いつまでも秘蔵してる場合じゃない!飲めるときに飲もう!と思い切って開封しました。瓶熟8年のトータル18年古酒はとってもまろやか〜になってます。
— 伊藤 薫@泡盛バカの司法書士 (@itokaoru3) May 17, 2021
常温ストレートをゆっくり味わうのもいいけど、氷たっぷりのオンザロックで氷がとけてきたところをグイッと飲むのも美味い!#瑞泉 #おきなわ屋 pic.twitter.com/9wt4YualmA
プレミアムMIGAKI 10年古酒
瑞泉酒造のプレミアムmigakiは44度の10年古酒です。特筆すべき点はタイ米を約3割削って造ったお酒だということです。お米を磨いていると聞いて、てっきりジャポニカ米だと思っていましたがタイ米でした。
ちなみに勘違いしている人が多いのですが、泡盛の原料はタイ米には限りません。
これは関西泡盛同好会の抽選会でゲットしたので、ひとりで開けるよりも泡盛好きと一緒に飲みたいと思い寝かしていましたが、なかなか機会がないので覚悟を決めて飲むことにしました。でもひとりで飲むのはもったいないのでライブ配信しながら飲みました。
ライブ配信なのでお酒はシャアはしません、できません。だから羨ましい~と思わせただけかもしれませんが(苦笑)、興味がある方はfacebookのグループ(泡盛でカリー!倶楽部)で投稿の人気のトピックの【ライブ配信】で観てください。
僕はボトルを見た瞬間に冷やして飲みたいと思いました。この感想は間違っていなかったようでラベルに書いてありますがパーシャルショットがおすすめみたいです。ちなみに10年古酒の前に8年古酒の12度のmigakiが販売されていました。飲む機会はありませんでしたがこれも冷やして飲んでみたい泡盛ですねぇ。
首里三箇とはなんぞや?
琉球王府は、17世紀末より泡盛の製造は現在の酒造免許に該当すると思われる焼酎40職を選び、王府のお膝元である首里の赤田・崎山・鳥堀の3つの村両先島(八重山・宮古)および久米島に公認された指定酒造屋を認めました。首里三箇(しゅりさんか)というのは泡盛造りを許されていた酒造所が多く集まっていた首里の3つの地区のことです。
- 赤田
- 崎山
- 鳥堀
識名酒造さんが首里赤田町、瑞泉酒造さんが首里崎山町、咲元酒造さんが首里鳥堀町にありました。首里に酒造所が集中したのには地下水が豊富だったことと、当時は泡盛が重要な献上品だったために琉球王府が監督しやすいことが主な理由のようです。参考|泡盛マイスター教本⑤泡盛・沖縄(琉球)の歴史