延命治療が嫌なら救急車を呼ばないという覚悟も必要みたいです。

延命治療は嫌だ。

そう思ってエンディングノートを準備してもまだ足りない。これが現実みたいです。

なぜ?と調べてたどり着いたこの本。

「延命治療で苦しまず 平穏死できる人、できない人」(長尾和宏/PHP)

延命治療をしないで平穏死するために必要な3つの課題が紹介されていますが、

  1. 本人の課題
  2. 家族の課題
  3. 主治医の課題

関連記事:延命治療はしたくない。でもそこに立ちはだかる3つの壁

 

さらに衝撃的なことが書かれていました。

「救急車を呼ぶという行為は、救急救命処置のあとに待っている延命治療をも希望する意思表示です」。

 

自宅で倒れて救急車を呼んだ場合

駆けつけた救急隊が救命処置として人工呼吸器をつけたとしましょう。

不幸にして意識が戻らなくても一度取り付けた人工呼吸器を外すことは難しく、これが延命処置になりうる。

救急車を呼ぶということは救命処置だけを求めているようで、実は最終的にそうなるかもしれない延命治療をも希望していることになる。

こういうことのようです。

かなり専門的な内容なので素人の僕が十分に理解できているのか不安もあります。気になった方はぜひ一度ご自身で読んでみてください。

本人が延命治療を望んでいないと家族が十分に理解していても事故や病気で急変した状況を前にして救急車を呼ばないということがはたしてできるのか・・・

かなり難しい問題です。

余命を宣告されているような状況であればどんなことが起きても救急車は呼ばないという覚悟をもって対応することができるかもしれませんが、そのときになると気が動転してしまうこともあるだろうし。

これは救急車を呼ぶべきか?そうじゃないのか?迷ってしまうとどうしていいのかわからなくなりそう。

だから。

延命治療をしたくないという希望を家族に伝え、家族にも十分理解してもらう。そして主治医にも理解してもらう。

延命治療をしたくなければ、これでもまだ足りないということです。

家族に覚悟を決めてもらって延命治療をしないエンディングを実現されたのが流通ジャーナリストの金子哲雄さんです。

「僕の死に方エンディングダイアリー500日」

金子からは「僕が死んでも、救急車を呼んではいけないよ」と、口酸っぱく言われていました。病院での死はそのまま扱われますが、在宅で死を迎えた場合、救急車を呼んでしまうと不審死扱いになってしまい、その後が面倒になるというのです。場合によっては、望んでもいない延命治療を施される可能性もあります。金子は、延命治療をまったく望んでいませんでした。

 

奥様は金子さんの呼吸が止まったのを確認して救急車を呼ばずに、在宅医療でお世話になっていた医師に連絡をして死亡診断書を書いてもらいました。

もしも救急車を呼んでいれば金子さんの最期は本人の希望とは違ってしまったかもしれません。

 

「今すぐ亡くなったとしても、驚きません」

という余命宣告を受けてからの500日間のことがこの本には綴られています。

500日という時間が長いのか、短いのか捉え方は様々でしょうが、これだけの準備が気力、体力が限界に近づく過程の500日間でできるものなのかと正直驚きました。

自分自身を省みるとまだまだ余力があるなぁと、恥ずかしくなります。

 

自分の想いだけを優先することなく、奥様と時間をかけて話をして、決断を重ねてきたことで最高のエンディングの準備できたのだろうと想像します。

 

この本を書いた背景には、「世の中にお買い得情報を発信して、誰かに喜んでもらいたい」という「流通ジャーナリスト」を目指した初心が深く影響しているということが読んでいてよくわかりました。

亡くなるその時まで、自身の体験をもとに誰かの役に立つ情報を発信していきたいという思いから生まれたのがこの本だということです。

医師についてこんな一文がありました。

 

私を救ってくれたのは、医療技術の前にまず先生の「人柄」だったと思う。

 

自分はどちらもまだまだと自覚して、プロとしてスキルと人格を磨く努力をしていこうと思います。

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